教師紹介

2020教師紹介
 

養哲塾のDNA

一人ひとりの個性と人格を尊重する指導方針、それが養哲塾の真髄です。能力に応じたきめ細かいクラス編成、「対話型」あてる授業などさまざまな養哲塾のシステムは、すべてこの指導方針を源泉としています。受験指導においても、当面の目標にとどまらず、もっと先を見据えた視点をどんな時にも失うことはありません。こうした養哲塾のDNAは脈々と引き継がれています。驚くことに養哲塾の講師の多くが養哲塾出身者です。この結果は意図したものではありません。養哲塾で学んだ卒業生が、大学生・大学院生となって自然に顔を出してくれるようになったことが始まりです。学業終えて会社員・公務員・研究者となった今でも時々顔を出して講師時代を懐かしんでくれます。以下は令和2年度の養哲塾出身の講師です。

養哲塾のDNA
 

養哲塾のDNA

先生たちからの寄稿

 

生徒へのメッセージ

 生きていると、しばしば困難に直面する。

 たとえば、「汚い部屋を片付ける」という問題にはどう対処すべきだろうか。机や床にものが散在した状態から、片付けた後の整った部屋を想像するのはちょっと難しい。一気に片付けようとすると大変かもしれないが、机の上だけなら出来そうなのでやってみる。机が片付いたら、床の半分くらいは出来るんじゃないかという気になり、やってみる。半分できたなら残りも同じ要領でできるだろうとやってみる…といった具合で進めるといつの間にか片付けは終わっている。

 このように困難に直面したときは、自分が解決出来そうなレベルまで問題を切り分けるのが有効であることが多い。カレーの作り方から受験勉強の進め方まで、実に多くの問題が分割することで解決に近づく。このことを意識し出したのは、僕が高校生の頃だった。

 大事なのは、上述のような知見はある日突然降って現れたというわけではなく、日頃から多様な経験を積み重ねることによって徐々に気づいてきたということである。小さい頃から、目の前の課題に立ち向かい、考える習慣をつけておいたおかげだと思っている。ときどき「勉強して何の役に立つんですか」などと聞かれることがあるが、結局自分自身を豊かにするためなのである。

東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻

養哲塾 荻窪教室出身 渡辺 泰平

 

 

 社会人の私から、小学生 中学生である皆さんに伝えたいことを書こうと思います。ここに書くことは、私自身が経験したことです。役に立つ部分が少しでもあれば、選びとってくれれば良いと思います。

 私が中学1年生だった頃のことです。学校での数学の授業で、家で解いてきた宿題を答え合わせをしていました。先生が読み上げる答えを聞いて、マルバツをつけるあれです。皆さんも幾度となくやってきたことだと思います。私はこの作業がすごく嫌いでした。もう少し厳密に言えば間違えることがすごく嫌でした。だから、私は答えを書き直して丸にしてしまう生徒でした。
今思えば、すごくださくて、臆病で、くだらないプライドを守るための行動でした。腕でプリントを隠すようにして消しゴムを使ったことをよく覚えています。間違えが恥ずかしくてたまらなかったのです。周りからできると思われたかったのです。私自身もできると思いたかったのです。そして、叱られるのが怖かったのです。当然のことながら、成績は振るわず、でも宿題にはマルが付いている。はたから見たら変な生徒だったと思います。

 その癖が治らないまま私は中学2年生になります。相変わらず、成績が振るわないため塾に通うことになりました。塾に入ってすぐ、参加した授業は数学の授業でした。問題を解いて、答え合わせをします。そこで私は、恐ろしいことに気づきます。生徒の答え合わせの様子を先生が近くでみているのです。冷や汗が出ました。間違えることをみられてしまう。こんな近くでみられていては、こっそり直すことができない。できない自分を見られてしまう。叱られてしまう。そんな風に考えました。結局、マルはマル、バツはバツとして書くしかありませんでした。背を丸めて、バツが悪そうに周りを見ていると皆平然としています。私よりもよくできている人もいればそうでない人もいました。でも私以外は皆、まっすぐ座っていました。びっくりしました。そこで初めて、「もしかして間違えることは恥ずかしいことではないのかも」と思うようになりました。私にとって、衝撃の出来事でした。間違えることを私に教えてくれたのが塾でした。それ以降、マルつけでズルをすることはなくなりました。


 できないところは隠そうと思えば隠し続けることができます。誰にも知らせずに、見せずに、うまくすれば隠し通すことができます。でもできない自分を見つけてもらって、私は救われました。だから皆さんにも、恥ずかしいけど、悔しいけど、できない自分をオープンにすることをおすすめしたいです。「できない」より、「できるようになろうとしない」の方がよっぽど恥ずかしいんです。「できない」を隠してしまえば、それが「できる」に変わるチャンスを失ってしまいます。成長するチャンスを失ってしまいます。成長する人は、オープンな人だと私は思います。なんでもできる人はそもそも塾に来る必要はありません。できないことがあるからここにいるんだってことを忘れないでほしいと思います。成長するってすごく気持ちがいいです。ぜひ、皆さんにもその気持ちを味わってほしいと思います。応援しています。

早稲田大学大学院 創造理工学研究科 総合機械工学専攻

養哲塾 高円寺教室出身 三橋 正寛