これまで、養哲塾のゼミスタイルがどのように生徒の力を引き出すのか、そして「間違い」がいかに深い学びにつながるのかをお伝えしてきました。
今回は、そうした考え方が現場でどのように息づき、長い年月の中でどのように確かな形となってきたのかを、一人の教師としての実感を交えながらお伝えしたいと思います。
養哲塾の恒見です。
私が養哲塾で働き始めてから、昨年度でちょうど20年になりました。
2006年の春、大学を卒業した私は、まだ進む道を定めきれずにいました。
九州から上京し仕事を探す中で、大学時代の先生からかけられた「君は教育に携わる仕事が向いている」という言葉を思い出したことが、塾という仕事を意識するきっかけでした。
ただ、どこでもよいとは思っていませんでした。
自分の考え方や生き方に合う、納得できる教育の場で働きたい。
そう思いながら求人を見ていたときに目に留まったのが、「養哲塾」という名前でした。
当時強く感じたのは、長く続いている塾でありながら、むやみに規模の拡大を追っていないということでした。
派手に教室数を増やすのではなく、堅実に、無理をせず、本当に必要な教育を守り続けてきた塾なのではないか。
その印象は、入社後、確信へと変わっていきました。


実際に働き始めて感じたのは、養哲塾が何よりも日々の授業の質を大切にしているということです。
目先の規模や見えやすい数字よりも、目の前の一人にどれだけ丁寧に向き合えるかを重んじる。
そうした姿勢は、20年を経た今も変わっていないと感じています。
養哲塾の強みは、何か特別に目新しい仕組みにあるわけではありません。
少人数で、対話を重ね、一人ひとりの理解を確かめながら授業を進める。
ごくまっとうで、本来あるべき教育を、長い年月にわたってぶれずに積み重ねてきたこと。
そこにこそ、養哲塾の本当の力があるのだと思います。
養哲塾に入ってまず学んだのは、少人数のゼミスタイルでした。
1クラス最大7名。生徒一人ひとりに問いかけ、考えを引き出し、対話を重ねながら進めていく授業です。
この授業では、ただ説明が上手いだけでは十分ではありません。
単元の本質を深く理解していなければ、生徒のつまずきに応じたやり取りはできませんし、どこで誤解が生まれているのかを見抜くこともできません。
だからこそ、この授業は生徒を伸ばすだけでなく、教師自身をも鍛えるのだと思います。
20年間この授業を続ける中で、私が強く感じてきたことがあります。
それは、子どもたちの「間違い」には必ず理由があるということです。
分からないのではなく、そのように考えてしまう筋道がある。
そして、その筋道を丁寧にたどることができれば、理解は一気に深まります。
一方通行の説明ではなく、子どもたちの考えに耳を傾けながら授業を進めるからこそ、表面には見えにくい勘違いや思い込みまで拾うことができます。
第1回、第2回でお伝えした「対話が引き出す力」や「間違いは宝である」という考え方は、理念として掲げられているだけではなく、日々の授業の中で繰り返し確かめられてきた現実でもあるのです。

