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これから勉強を始める皆さんへ 2023/06/20

 社会人の私から、小学生 中学生である皆さんに伝えたいことを書こうと思います。ここに書くことは、私自身が経験したことです。役に立つ部分が少しでもあれば、選びとってくれれば良いと思います。

 私が中学1年生だった頃のことです。学校での数学の授業で、家で解いてきた宿題を答え合わせをしていました。先生が読み上げる答えを聞いて、マルバツをつけるあれです。皆さんも幾度となくやってきたことだと思います。私はこの作業がすごく嫌いでした。もう少し厳密に言えば間違えることがすごく嫌でした。だから、私は答えを書き直して丸にしてしまう生徒でした。今思えば、すごくださくて、臆病で、くだらないプライドを守るための行動でした。

 腕でプリントを隠すようにして消しゴムを使ったことをよく覚えています。間違えが恥ずかしくてたまらなかったのです。周りからできると思われたかったのです。私自身もできると思いたかったのです。そして、叱られるのが怖かったのです。当然のことながら、成績は振るわず、でも宿題にはマルが付いている。はたから見たら変な生徒だったと思います。

 その癖が治らないまま私は中学2年生になります。相変わらず、成績が振るわないため塾に通うことになりました。塾に入ってすぐ、参加した授業は数学の授業でした。問題を解いて、答え合わせをします。そこで私は、恐ろしいことに気づきます。生徒の答え合わせの様子を先生が近くでみているのです。冷や汗が出ました。間違えることをみられてしまう。こんな近くでみられていては、こっそり直すことができない。できない自分を見られてしまう。叱られてしまう。そんな風に考えました。

 結局、マルはマル、バツはバツとして書くしかありませんでした。背を丸めて、バツが悪そうに周りを見ていると皆平然としています。私よりもよくできている人もいればそうでない人もいました。でも私以外は皆、まっすぐ座っていました。びっくりしました。そこで初めて、「もしかして間違えることは恥ずかしいことではないのかも」と思うようになりました。私にとって、衝撃の出来事でした。間違えることを私に教えてくれたのが塾でした。それ以降、マルつけでズルをすることはなくなりました。

 できないところは隠そうと思えば隠し続けることができます。誰にも知らせずに、見せずに、うまくすれば隠し通すことができます。でもできない自分を見つけてもらって、私は救われました。だから皆さんにも、恥ずかしいけど、悔しいけど、できない自分をオープンにすることをおすすめしたいです。

 「できない」より、「できるようになろうとしない」の方がよっぽど恥ずかしいんです。「できない」を隠してしまえば、それが「できる」に変わるチャンスを失ってしまいます。成長するチャンスを失ってしまいます。成長する人は、オープンな人だと私は思います。なんでもできる人はそもそも塾に来る必要はありません。できないことがあるからここにいるんだってことを忘れないでほしいと思います。成長するってすごく気持ちがいいです。

 ぜひ、皆さんにもその気持ちを味わってほしいと思います。応援しています。

早稲田大学大学院 創造理工学研究科 総合機械工学専攻卒
養哲塾 高円寺教室出身